大阪の万博公園跡地にもうすぐ、ららぽーとEXPOCITYという複合商業施設ができるらしい。
概要を見る限り施設自体は別に1970年に開催された大阪万博に関連付けてどうこうというわけではないようなのだが、出店店舗の中に「万博食堂」という飲食店があるようなのだ。
気になって調べてみたら、コンセプトは、当時万博で出店していた各国のレストランの人気料理を再現、とある。
これはなんとも心踊るコンセプトである。
ただし、それはあくまで本当に「再現」されるならの話でもある。
つまり、今の日本人にとっての分かりやすさや食べやすさとっつきやすさみたいなものを犠牲にしてまで当時を忠実に再現してくれるとはちょっと考えにくい、ということだ。
その料理はおそらく、より「現代日本の飲食業界における最適解」に沿う形にアレンジされる事になるだろう。
アレンジの度合いにもよるかもしれないが、もちろん私はそんなものは全く求めていないのである。
もし仮に「当時のソ連館レストランで提供されていたそのままのシャバシャバでコクが無くて塩っぱいボルシチと、ホテル出身の若きシェフが工夫したまったりとした深みとコクが楽しめる特製のボルシチとどっちがいいですか?」
と聞かれれば私は即答で前者である。
このブログを読んでいただいているような(特殊な)方々の中にもかなりの割合で前者派が含まれていると思うのだがいかがだろうか。
対象を世間一般に広げるならばその割合はぐっと減るだろう。
それでも面と向かってこう聞かれればとっさの興味で前者と答える人もそこそこいるかもしれないが、実際に前者が店で提供されれば食べログ等での大惨事は火を見るより明らかである。
少なくともこのような商業施設でそれをわかって押し切る勇者すぎる運営会社は存在し得ないだろう。
各国の、あるいは各時代の食をテーマにしたテーマパーク、みたいなものをたまに妄想する。
実在するそれに近いものは、知る人ぞ知るテーマパークというか珍スポットの「犬山リトルワールド」であろうか。
しかしそこを見ていても思うが、一般の飲食店とは違う、どちらかというと博物館的なその施設でもやはり、「安さとおいしさとわかりやすさが供給側の効率とバランスする最適解」からは決して自由ではいられない。
だから結局のところ私たちは街場にせっせと赴き、
"日本人完全無視の外国人による同胞向けレストラン"
とか
"奇跡的に現存するゴーインマイウェイ過ぎる老舗"
とか
"「本物とは何か」に正面から向き合い過ぎてそこかしこ拗らせた個人店主の店"
とかを丁寧に回遊するのがどんなテーマパークやテーマレストランより正解、という事になるのだ。
ある程度の都会なら、そういう「ぼくらのテーマレストラン」が集中するエリアがあるものだ。東京の各国料理で言えば錦糸町なんてのは完全に「僕たちのディズニーランド」である。
新大久保あたりも熱い。
時代性テーマなら名古屋の円頓寺なんてのも最高だ。
(ただ円頓寺は今、急速に「大須化」が進んでいるから、行くならぜひ今のうちです)
そして実はその先がある。
世の中の飲食店のほとんどは理想と最適解の間のせめぎ合いの中に存在している。
確かにあまりにも最適解に寄り過ぎていてつまらない、とか、その理想そのものがパッとしない、という事も少なくないけれども、そのせめぎ合いの中から見え隠れする葛藤みたいなものは最高の人間ドラマであり時代を切り取るドキュメンタリーだ。
以前ふれたサイゼリヤなんてのはその葛藤を見事な形で無理の無いストーリーとして表現している好例である。
そういう視点で見ていくと、あらゆる飲食店がテーマパークとして立ち上がってくるのだ。
だから私は、EXPOCITYの万博食堂もなんだかんだやっぱり楽しみにしているのである。
確かにそこには私が欲するプロダクトは存在しない可能性が高い。
しかしそこには少なくとも半世紀前のハードコアな各国料理を再現するというパンクすぎるコンセプトをいかに現代の(凡庸な)最適解に落とし込むかという葛藤ないしは開き直りの軌跡というコンテンツがあるのは間違いないからだ。
ただし。
そのコンテンツが本当の意味で魅力的になるか否かは完全に、中の人(たち)の「半世紀前の各国料理」に対する愛の深さに比例する。
やっぱり結局はそこなのである。
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