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料理のSN比と、目黒のサンマのジレンマ 前編

SN比という言葉がある。
オーディオに凝った事がある人や音楽のレコーディングにたずさわった事のある人ならご存知かと思うが、これはサウンドに対する雑音の比率を表す。
SN比が高いほどそれは高音質である事を意味する。
SN比を高める、つまり音質を良くするには、サウンドの音量を上げるか雑音を削るかという二つの方法があるわけだ。
料理に関してはもちろんこのSN比という言葉がそのまま使われることはないのだが、あえて料理にこの概念を当てはめてみるといろいろ面白い、というのが今回のテーマである。

最初にものすごくざっくりとした言い方をすれば、料理というのはいかにして元々の食材に手を加えてそのSN比を向上させるか、であると言ってもいいと思う。
特に高級なもてなし料理においてはそれが重要になる。
例えば牛ヒレ肉なんてものは元々のSN比が高いからわざわざ料理によってNを削る必要性もさほど無いわけだが、これがレバーとなると話はだいぶ変わってくる。
レバーは旨味や味わいが濃いという意味では極めてS値が高い食材だが、同時に匂いや味わいのクセや食感などの「雑音」であるN値もまた極めて高い。
だからもしある程度高級な料理としてレバーを提供しようと思うと、入念に臭みを抜いたり食感を滑らかに加工したり香辛料や香味野菜などをうまく取り合わせるといった工夫が必要になってくる。
レバーほど極端ではなくとも世の中のだいたいの食材は長所と短所を併せ持っている。
調理によって長所を伸ばす、もしくは短所を削る、もしくはその両方でこの「料理のSN比をいかに高めるか」というのはまさに料理人の腕の見せ所というものであろう。

食べ物に関してこのS値にあたるものは、旨味、適度な塩気、なめらかさ、コク、マイルドさ、やわらかさ、適度な歯ごたえ、甘さ、よい香り、食べやすさ、といったものである。
N値にあたるのが、クセ、苦味、酸味、過度の塩気、臭み、硬さ、匂い、骨や皮や殻などの食べにくさ、といったものと言えるだろうか。
ただし本来の音響的なSN比と大きく異なるのは、クセや苦味などのノイズを完全に取り除かずわずかに残す、あるいは他の食材でそのような要素をわずかに付け加える事でその料理はフックのあるより印象的な美味しさになる事がある、という点だろうか。
もっとも音響の世界でもあえてノイズを削がないローファイなサウンドが好まれたり、ノイズそのものが主役のジャンルがあったりもする点では少し似たところもあるのかもしれない。

私が初めてちゃんと和食を学んだ時に、とても驚いた事があった。
和食と言うのはとにかく何でも水にさらすんだなあ、という事である。
刺身に使う大根のツマを切った端から水にさらしたり、煮炊きする前のナスなどをあく抜きのために水にさらすというのは分かるにしても、いわゆる薬味と言われるものまでさらしてしまうのはちょっとしたショックだった。
ネギやミョウガはもとより、大葉の千切りなんてもののも、しっかり水にさらした上で水を切り、ペーパーで抑えて水気を完全に取った上で容器にしまい込まれていた。
一番驚いたのは、大根おろしの水洗いである。
なんだそれは。
大根おろしが「だいなし」ではないか、としか思えなかった。
薬味だけではない。
たいていの野菜も「ゆでこぼし」という下処理がなされていた。
芋でも大根でもたいていの野菜は、たっぷりの湯でゆでられ、程よく柔らかくなったところでそれらは水にしばらくの間さらされてから改めて煮物などに使われた。
野菜だけではない。肉もだ。
豚の角煮を仕込むのに、豚バラを茹でて脂を抜くのはまだ理解できたが、鶏肉の煮物を作るのに鶏を熱湯にくぐらせその茹で汁を惜しげもなく捨てていたのには驚いた。
せっかくのスープをまるまる捨てているとしか見えなかったからだ。

私はそういった一連の仕事を教えてくれた先輩に、なぜそこまで徹底してなんでも「水に流して」しまうのかを聞いてみたかったが、もちろん実際に聞きはしなかった。
飲食店の厨房、中でも和食の世界でそれは絶対にやってはいけない事である。
先輩が言うことは常に絶対なのであり、いかなる理由があれそれに疑問を抱くことは罪である。
ただなんとなくわかったのは、ハイエンドな和食の世界ではとにかく雑味やエグみ、ぬめり、臭みといったものは悪なのであり、素材本来の旨味や風味といったものを多少犠牲にしてでもそれらは徹底して取り除かねばならない、というのが基本的な考えなのだ、という事だった。

これは私が和食より先に学んでいたイタリアンなどの洋食の世界とはまるっきり相容れない考え方だった。
例えば、バジルを和食の大葉のように細かく刻んで水にさらすなんてことは絶対にあり得ない。
水で洗う事すらよほどのことがない限り避けられるほど、とにかく何が何でも少しの香りも逃すまいという考えが基本だった。
肉や野菜を煮込むにしても、いかにそれらの旨味を無駄にすることなく鍋の中に閉じ込め凝縮させるかということが全てだった。
それを下ゆでするとか、ましてやそのゆで汁を捨てるなんてもってのほかである。
肉を焼いたら焼いたで鍋や天板にこびりついた焼き汁は、水やワインでこそげ取られソースや煮込みの一部になった。
アスパラを茹でる時さえ、剥いた皮は茹で湯に加えられた。
つまり皮は最終的に捨てるのだけど、皮の旨味も無駄にせず、食べる部分を茹でるためのダシとして使うべしという思想である。
さすがにそれはそんなことで茹でアスパラの味が変わるとも思えなかったが、とにかくそれは単なるオマジナイ的な物であったとしても、素材の持つ成分は一滴も逃すまいという信念の表れとしては、多少精神論的かもしれないが充分に意味のあることだという風には理解した。

こうやって両者を並べて書くと、西洋料理は食材のもつ栄養や風味を無駄にしない合理的な調理体系で、それに対して和食は無駄の多い体系、という優劣があるようにも見えるかもしれないが、それはそんな単純な話でもないということは書き添えておくべきかもしれない。
SN比の話に戻ると、あくまで傾向としてではあるが、和食はN値を可能な限り削ぎ落とすことで、洋食はS値を徹底して損なわない事で、結果的にはどちらも高いSN比を目指しているという事だ。
さらに付け加えると洋食の場合はそこにハーブやスパイスがより積極的に加えられるわけだが、スパイスやハーブといった物はS値とN値の両方を高める事によって、主食材のN値を相対的に低くするという機能がある。
もう一つ付け加えるならば、和食でN値を削る手法が有効なのはきれいな軟水がふんだんに使えるからでもある。
またヨーロッパの硬水はもともと野菜の調理には向かないのだが、肉や骨のスープをとる際にミネラル分がたんぱく質と結びつきアクとして取り除かれる事で煮炊きに適した物となるという事情もある。
なんにしても世の東西を問わず、人はそうやってその土地土地に適した方法で料理の質を高めてきた、という事であろう。

なんだか話が大きくなってきて私の手にはおえなくなりつつあるので、そんな話はそろそろ切り上げつつ次回はいつものように身勝手な食べ物の好みの話に戻ろうと思う。
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イナダシュンスケ

Author:イナダシュンスケ
業態開発とメニュー開発を中心に飲食店の雑用全般。enso / Erick south / Erick curry などなど。
ただしこのブログは完全プライベートであります。
偏り気味の食文化論、役に立たない食べ物ウンチク、飲食店の愉快でトホホなリアルライフ、そしてたまにはヒット数稼ぎの阿漕なレシピ公開、好きなものを好きと言うだけの中身の無い雑談、などをだらだらと垂れ流す予定です。
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